プロフィール① 運動とケガと楽しさ

      2017/11/24

ケガと隣り合わせの幼少期

 

五十嵐家の次男として、福島県福島市ののどかな盆地で生まれました

家族で出かけても、振り返ることなく一人で先を進んでいくマイペースな子どもでした

向こう見ずに進んで行く分、ケガをすることもしょっちゅう

幼稚園の入園直前、転んだ拍子に側溝の角に額を強打した時には

血だらけで整形外科に運ばれて、7針縫った跡は未だに残っています

 

 

小学校に入学しても、

小学2年生では旅行先の離島で雲梯から落ちて手首を骨折

2週間で完治して無事に運動会に参加したり、

小学5年生では脛に腫瘍ができるも自然に吸収分解されて手術を回避できたり、

 

ケガがちなのは変わらずも大事になり過ぎずになんとかやれていたのは、掛かりつけの整形外科の先生方や両親のケアのおかげです

 

 

 

サポートする喜びへの気づき

身体を動かすのはずっと好きでしたが、

野球をやっていた5歳上の兄を家族で応援に行くことも多く

スポーツを観ることはもっと好きになっていきました

特に兄の母校の応援に甲子園球場に行ったのはいい思い出です

Hanshin Koshien Stadium 2007-21

さらにそれに拍車がかかったのは中学時代の部活動

中学校進学のタイミングで、家族で新居に引っ越し

友達のいない新しい環境で選んだのは「バレーボール」

後ろの席の子が入ると言っていただけの理由です

 

 

前年に県大会で優勝していた強豪チームだと知ったのは入部後

特例での夜間練習や、月に最低一度の県外遠征などなど

猛練習の日々の中で

「レギュラーになろう!」よりも「チームを支えよう!」という気持ちが強くなっていきました

 

 

選手として席を置いていましたが、マネージャー的な立ち位置での活動により積極的に取り組み、2年生の時には東北地区大会まで進出することができました

 

 

 

「理解すること」の意味

高校では、中学時代の顧問の先生が専門にしていたハンドボール部へ入部

入部初期の走り込みで脛(すね)を疲労骨折したのが、中学2年生での右手首骨折に続いて3度目の骨折

疲労骨折は骨折といっても名前の通り慢性的な疲労の蓄積によって起きるもの

痛みが出始めた頃に行った最寄りの整形外科での診断は「脛骨骨膜炎」

ランナーさんにも多いシンスプリントとも呼ばれるものです

 

 

なかなか症状が改善せず別な整形外科も受診したときの診断は

「疲労骨折」

違う診断に何を信じて、どんな対処をするのがベストなのかわからなくなってしまいました

 

 

この時に感じたのが正しい情報を知っていることがいかに大切なのかということ

トレーナーの勉強をする中で知った真実は

シンスプリントの症状が悪化し、表面の骨膜だけでなく骨の本体にまで炎症が進行した状態が疲労骨折

つまりどのドクターも違う診断をしていたわけではなかったということ

でも素人にはその病名の違いが全く違うもののようにしか感じられなかった

 

 

結果的には先輩の勧めでスポーツドクターの下で治療を受けることにしましたが、地方の1都市に専門の病院は少なく同じように悩む患者さんでいつも長い待ち時間

疲労骨折ではこれまでで一番長い3ヶ月あまりの長期離脱

初心者が選手としてレベルアップする絶好の機会である1年生の夏休み前後の3ヶ月を棒に振ったことで部活動への熱はすっかり冷めていました

 

さまざまなケガを経験して、

運動する楽しさも、できない辛さも感じてきました。

 

それと合わせて、運動の楽しみ方はいろいろあるということ

運動への関わり方は「自分でする」以外にもたくさんあることに気づいていきました。

 

②へ続く

 

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五十嵐 茂幸

五十嵐 茂幸

『 マラソンのロジカル先生 』痛みの不安なくマラソンに挑むランナーさん専門のトレーナー。スポーツリハビリの専門家:日本体育協会公認アスレティックトレーナーの資格を持ち、工学部化学科卒という異色の理論派。自身もランナーとしてサブ4を達成、接骨院でも勤務、知識と経験を兼ね備えた指導を行なっている。 詳しいプロフィールはこちら→ http://runners-concierge.com/profile/

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